西野亮廣が語るお金の仕組み

この記事は1年前の西野亮廣エンタメ研究所の記事です。
2018年5月26日

次回作のビジネス書『僕たちはどう生きるか(仮)』の第三章「レターポット」の原稿の一部(前回投稿した「文字はお金になるのか?」の続き)をオンラインサロン限定で公開しますね。

#どんだけ公開すんだよ

#御礼にオンラインサロンの宣伝をしろよ

#10000人のコミュニティーを作るぞ

#オンラインサロンは絶対に町になる

前回の投稿を見落とした人もいると思うので、あらためて前回のところもアップしておきます。

後半部分が新たに書いた文章です。

添付写真は、ベッカムに憧れて頬毛を伸ばしているけれど、全然、はえなくて絶望しているナルシスト伯爵(寝起き)です。

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【お金の正体について】

「紙幣」が一体どうやって生まれたのかを知り、お金の正体を知れば、『レターポット』に換金装置を付ける必要がないことが見えてくる。

お金の成り立ちをイチから語ると、「貝殻が〜」という長い話になっちゃうので、ここでは、近代のお金「紙幣」の成り立ちについて、お話しするね。

さて。

貝殻か、塩か、なんかよく分からないけど、そんなものからスタートした「お金」は、時代と共に形をコロコロと変え続け、ついにゴールドになった。

商品やサービスはゴールドと交換することで、受け取っていたわけだけれど、誰かが「つーか、ゴールドって持ち歩くの重くね?」とか何とか言い出した(たぶんね)。

そこで、『金匠』と呼ばれる、とっても頑丈な金庫を持っているオジサンが現れて、「ウチで金を預かりますよー」と言ったんだ。

金匠に100ゴールドを預けると「100ゴールド、預かりましたよー」と書かれた『預かり証』(ただの紙切れ)が貰える。

そんでもって、100ゴールド分の『預かり証』を受け取った人は、その紙を持って米屋に行って、「この紙を金匠のところまで持っていったら、100ゴールドに換金してくれますよ〜」と言って、『預かり証』で米を買ったんだ。

米屋からすると、『預かり証』をわざわざ金匠のところまで持っていって、ゴールドに換金するのも面倒だよね?

「はてさて、どうしたものか」と米屋。

しかし、聞くところによると、お隣の魚屋も「『100ゴールドの預かり証』を金匠に持って言ったら、100ゴールドに換金してくれる」ということを知っているらしい。

つまり、魚屋も『100ゴールドの預かり証』には100ゴールドの価値があることを知っているらしい。

「こいつは好都合だ」

米屋は、魚屋のところまでいき、米を売って手に入れた『100ゴールドの預かり証』で魚を買う。

こうして『預かり証』がゴールドに換金されないまま、商店街で回り始めたわけだ。

つまり、『100ゴールドの預かり証には100ゴールドの価値がある』と皆が信じれば、その紙切れは100ゴールドになり、もはや換金する必要がなくなる。

これが「紙幣」の始まり。

その後、皆が価値を信じた紙幣は、ついには「預かり証(紙幣)を持ってきてくれたら換金しますよ〜」という〝裏付け〟すら外され、換金できなくなり、今日、ボクらは紙幣を換金せずに使用している。

今、「一万円札を貰っても、換金できなかったら意味がないじゃないか!」なんて誰も言わないよね?

お金というのは、貝殻であろうが、石であろうが、ゴールドであろうが、紙切れであろうが…実は形状はどうでもよくて、〝皆が価値を信じること〟で存在しているんだ。

極めて「神様」に近い存在だね。

その石コロに皆が1億円の価値があると信じれば、その石コロは1億円になる、という話。

じゃあ、「お金の形状は本当に何でもいいのか?」というと、実は、そうでもない。

モノによって、信じれるモノと信じれないモノがある。

たとえば、魚。

魚は、「お会計は250魚になりま〜す」といった感じで、「お金」になるのだろうか?

答えはNOだ。

魚は「お金」にはならない。

理由は、『保存』ができないからだ。

100魚を貰っても、来週使う頃には100魚すべて腐っている。

腐った魚なんて誰も受け取ってくれないよね?

どうやらボクらは『保存』できないモノを、「お金」として信じることができないんだ。

では逆に、どういう要素があれば、ボクらは、そのモノを「お金」として信じることができるのだろう?

歴代のお金(貝とか、ゴールドとか、紙幣とか)に共通する要素は、一体何なんだろう?

答えは3つ。

① 「保存できる」

魚の話もそうだけど、腐って価値が下がってしまうようなものを貰っても、自分のタイミングで使えないので、ちょっと迷惑だよね。

保存できないものは、お金として信用することができない。

② 「交換できる」

当然だけど、お金を貰ってもモノと交換できないと意味がないよね。

となってくると、持ち運びが効くモノの方がいい。

ボクらは、交換することができない(持ち運べない)5トンの岩を、お金としては信用することができない。

③ 「尺度になる」

モノと交換するとなると、「メロン一玉は、リンゴ○個分の価値がある」ということが出せないとマズイよね?

「メロン一玉=1000円、リンゴ一個=100円…なるほど、メロンはリンゴの10個分の価値があるの ね」という「尺度(価値のモノサシ)」としての機能が備わっていないと、ボクらはそれを「お金」として信用することができない。

『保存』と『交換』と『尺度』、この三つの機能さえ備わっていれば、ボクらはそれを「お金」として信用することができる。

貝にも、ゴールドにも、紙幣にも、その三つの機能が備わっていたんだね。

では、文字はどうだろう?

文字は腐らないよね?

つまり、文字は『保存』することができる。

助けて貰った時に御礼の手紙をしたためたり、先輩から夜御飯をご馳走になった時に、翌朝にLINEを送ったりしない?

つまり、その瞬間、サービスや食事と、文字が『交換』されている。

興味がない事柄には短文で、興味がある事柄や、たくさんの感謝を伝えたい時には長文の手紙を書く。

内容によって、文字量が変わっている。

つまり文字を『尺度』として使っている。

文字には、『保存』『交換』『尺度』という、「お金」を構成する三つの機能が備わっているんだよね。

文字が「お金」なってもおかしくはなさそうだ。

ていうか、文字が「お金」になってくれれば、盗まれることも、酒場で酔っ払って財布ごと無くすこともないので、その方が助かる。

文字が「お金」になった方が便利じゃん。

だったら何故、これまで「文字」はお金にならなかったのだろう?

そこには文字が「お金」になれなかった理由があった。

すっかり見落としていたんだけど、「お金」を構成する要素が『保存』『交換』『尺度』の他に、実は、もう一つだけあったんだ。

【文字はお金になるのか?】

お金を構成する最後の一つの要素、それは『流通量』だ。

2000年代後半に、にジンバブエという国で「ハイパーインフレ」が起こった。

「インフレ」というのは、物の価値がグーンと上がって、お金の価値がドカーンと下がる状態のことね。

「ハイパーインフレ」は、その超ヤバイ版。

その時、ジンバブエ政府はとにかくたくさんお金(ジンバブエドル)を刷っちゃってさ、ついには「100兆ジンバブエドル」という超高額紙幣も発行されたんだけど、その100兆ジンバブエドルでもパン一つ買うことができなかった。

お金の価値が無くなっちゃって、ついには、そこかしこの道端に、お札が落ちている始末。

ハイパーインフレが起こって、ジンバブエのように、「お金」が発行されすぎてしまうと、もう誰も「お金」を信用しなくなるんだよね。

その「お金」では、もう何も買えなくなってしまう。

ここで「文字」の話に戻るんだけど、「文字」って無限に発行されるじゃない?

たとえば、このあとボクがこのまま文章を書き続ければ、世の中に存在する文字がどんどん増えていくよね。

キミはこの後、キミのさじ加減で、インスタグラムに100文字の読書感想文を書くこともできるし、500文字の読書感想文を書くこともできる。つまり、文字を無限に発行することができる。

(※ちなみに、インスタグラムに、『♯僕たちはどう生きるか』を入れて、この本の感想を書いてくれたら『いいね』を押しに行きます。「感想文を書けよ」というプレッシャーです)

「文字」というものが誕生して今まで、人類は自分のさじ加減で文字を発行し続けてきた。

地球上は「文字」で溢れかえっている。

つまり何が言いたいかというと、「文字の世界はハイパーインフレをおこしている」というのがボクの考え。

「文字」の流通量が多すぎるから、「文字」では何も買えない。

「お金」の流通量が多すぎるから、「お金」では何も買えなくなったジンバブエのように。

であればだ。

「文字」の流通量を制限して、手紙やメールやLINEと違って、文字を「無限に発行できないモノ」してしまえば、文字は「お金」になるんじゃないかな?

これまでどおり、紙幣や電子マネーで回る経済圏があった上で、この世界の片隅に「文字で回る経済圏」があっても面白そうだ。

「いただきます」でハンバーガーが買えるような。

その未来を迎えに行く作業は、自分の人生を捧げるに値するとボクは考えている。

ボクには守りたいものがあるんだ。

いよいよ、クライマックスです。

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