西野亮廣の恩人

この記事は1年前の西野亮廣エンタメ研究所の記事です。
2019年9月25日

おはようございます。

「Twitterでの公開セクハラが許されているのは、僕が端正な顔立ちだからだよなぁ」と思っているキンコン西野こと「ナルシスト地獄」です。

さて。

イイコトばっかり言っていたら、セミナーみたいな空気になっちゃうので、今日は、皆さんにとっては何の役にも立たない僕の個人的な話をしたいと思います。

とてもミーハーで、とても素人臭くて恥ずかしい僕の一面ですが、ここを知っていただけると映画『えんとつ町のプペル』が、より楽しめるかと思います。

御存知の方もいるかもしれませんが、僕は25歳の頃にテレビの世界から軸足を抜きました。

懸命に登った山の上から見えた景色は、遥か遠くにある大御所タレントの背中で、まさか、ウォルト・ディズニーの背中なんて見えもしませんでした。

それは、子供の頃から信じ、走ってきた道が途中で途絶えていることを知った瞬間でした。

そりゃまぁ、そこそこ絶望しました。

そこから、「このままだと何者にもなれずに終わる」と判断し、急ハンドルをきったわけですが、その後押しをしてくれた恩人が僕には3人います。

タモリさんと、

後藤ひろひとさんと、

立川志の輔師匠です。

(※当時の記録)

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タモリさんと後藤ひろひとサンの話は、また今度するとして、今日は立川志の輔師匠の話を。

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「上を見ろ」

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「どうやら登る山は、この山じゃなさそうだぞ…」と、これまでの生き方に疑いを持ち始めていたある日、渋谷PARCO劇場で開催されていた『志の輔らくご』を聴きに行きました。

ヒントや答えを求めて行ったわけではなく、ただただ友達に誘われて、「なんだか面白そうだし…」という軽い気持ちで足を運んだのですが、そこで見たのは立川志の輔の圧倒的な世界でした。

劇場、スタッフ、お客さん、空気、時間…全て事柄が立川志の輔に期待していて、

立川志の輔の落語を中心に世界が回っていたんです。

一方、僕は、替えが効く仕事(僕じゃなくても回る現場)でスケジュールが埋まっている上に、「面白いこと」をしたくてテレビに出ていたハズなのに、いつからか「テレビに出ること」が目的になっていました。

PARCO劇場のステージ上から、もうずっと前から聞こえてくるのは「お前、そこでいいのか? もっと上を見ろよ」というメッセージで、いいかげん覚悟が決まりました。

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他の誰も見ていなくてもいい。

黒い煙のその先に、お前が光を見たのなら、

行動しろ。思いしれ。

そして、常識に屈するな。

お前がその目で見たものが真実だ。

あの日、あの時、あの光を見た自分を信じろ。

信じぬくんだ。

たとえひとりになっても。

映画『えんとつ町のプペル』 -父の言葉より-

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『えんとつ町のプペル』という物語の主人公は、ゴミ人間でもなく、煙突掃除屋の少年でもありません。

絵本では登場していませんが、『えんとつ町のプペル』の主人公は、煙突掃除屋の少年の父親の『ブルーノ』です。

(※映画『えんとつ町のプペル』のプロローグ)

【初公開】これが映画『えんとつ町のプペル』のプロローグだ | 西野亮廣ブログ Powered by Ameba

名前の由来は哲学者『ジョルダーノ・ブルーノ』

コペルニクスの地動説を擁護しまし、コペルニクスよりもさらに壮大な宇宙を想定し、火刑にされた人物です。

ザックリ言うと、「教会は『宇宙なんて無い』みたいなこと言ってるけど、宇宙はあるし、しかもスッゲーでかいよ」と真実を説いた人ですね。

映画『えんとつ町のプペル』に出てくるブルーノも、星を知らない町の片隅で、自分で紙芝居(ファンタジー)を作り、その作品を通じて「星はある」というメッセージを発信し続けたんです。

「上を見ろ」と。

そのメッセージを真に受けたブルーノの息子(ルビッチ君)が星を探し求める物語が『えんとつ町のプペル』なのですが、お察しのとおり、これは、志の輔師匠と僕の物語が下地になっているんです。

なので、映画化が決定した時に、ブルーノの声優は立川志の輔師匠しか考えられなくて、映画会社や吉本興業からオファーを出すのではなくて、僕が直接会いに行って、面と向かってお願いしようと思い、「直接お会いして、お願いしたいことがあります。どこかで時間を作っていただけませんか?」と電話をさせていただきました。

そして、今日がその日です。

まだオファーを受けていただけるかどうかも分からない状態で、こんな話を皆様にしてしまって、もしもフラれちゃったら、まったく格好がつかないのですが、皆様には、後日、決定事項としてお伝えするよりも、「断られるかもしれない…」という不安を抱えた姿を晒した方がフェアだと思ったので、こんな形をとらせてもらいました。

決して数値化(可視化)することはできませんが、作品にこめられた「執念」のようなものを僕は信じていて、もし上手くいかないことがあっても、作品に費やした執念は必ず力となって作品の背中を押してくれると思っているので、ちょっとビクビクしながら、自分の頭を下げてきます。

行ってきます。

フラれたら慰めてね。

現場からは以上でーす。

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