映画『えんとつ町のプペル』の台本の【あとがき】

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この記事は1年前のオンラインサロン西野亮廣エンタメ研究所の過去記事です。

2020年3月31日
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おはようございます。
毎日せっせとサロン記事を書けば書くほど、サロンメンバーさんの中で、毎日の記事が「当たり前(=無料扱い)」になってしまって、いつからか「私は西野に1000円を投資している」と言われるようになり、「じゃあ、毎日の記事は何なんだよ!」とムカムカしたこともあったんだけど、最近は、「…まぁ、そう思う人がいても、それはそれでいいか」と丸くなったキングコング西野です。

さて。
新型コロナウイルスの対策で朝から晩まで走り回っておりますが、もちろん、作品制作の手は一切止めておりません。
映画『えんとつ町のプペル』の制作は順調に進めておりますし、映画の広告戦略も進めております。

コロナで沈んだ世界をエンターテイメントの力で盛り立て、夢と希望を届ける気マンマンです。
人気の出なさそうな少年漫画の主人公を地で行きます!押忍!!

そんな今日は、いつもの「ビジネス」の話はお休みにして、「モノ作り」の話を。

以前、このサロンでお伝えしましたが、映画『えんとつ町のプペル』の公開前に、映画の台本(声優さんが読むやつ)を、個展のグッズとして販売してやらうと企んでいます。

『台本+ペア前売券』というセットで。

公開前の映画の台本を買うのは「コアファン」で、「コアファン」は、ストーリーが分かっていても、「これが映像化されたら、どうなるのか?」という確認作業で映画館に足を運んでくれるだろうから、前もって台本を販売したところで、映画の観客動員が落ちることは、まず、考えられませんので問題ありません。

その台本ですが、せっかく台本を買ってくださった方には、台本ならではの特典を用意したいと思いまして、台本の最後に【あとがき】を書き加えることにしました。

台本の台詞は映画の中でも確認できますが、台本にある【あとがき】は、台本の中にしかありません。

今日は、その【あとがき】の「編集作業」を皆さんと一緒にやりたいと思います。
ここで、仕上げたものを台本の最後に掲載します。

そんなこんなで走り書きではありますが、映画『えんとつ町のプペル』の台本の【あとがき】を書いてみました。

「ここは、こういう言い回しの方がいいんじゃないの?」というところがあれば、コメント欄まで御意見ください。
(※ちなみに、こねくりまわした言い回しは嫌いです)
「こういう言い回しの方がスッキリするよ」というのが好きです。

宜しくお願いします。

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【あとがき】

『えんとつ町のプペル』という物語が出来上がったのは2011年の年末ごろ、それが絵本として世に出る約5年前です。

「空を知らない町」を舞台に、煙突掃除屋の少年とゴミ人間が繰り広げる冒険活劇を書き進めているうちに、僕は不思議な力が働いていることに気づきました。
執筆作業が後半に向かうにつれ、キャラクター達が僕の腕を引っぱり、「こっちだ!」とストーリーを展開してくれるのです。

実は、似たような経験は普段からありました。

「シチュエーション」と「キャラクター」の設定がしっかりと練れていれば、キャラクター自身が台詞や行動を選び始めるんです。

しかしそれは、作家の天才性によるものではなく、「このシチュエーションだと、このキャラクターは、この台詞以外ないよね」といった『空気』の仕業です。

「シチュエーションとキャラクターの掛け合わせ」が自ずと答えを導き出すことって、普段の生活でもありませんか?

僕はパスポートや免許証の写真を撮る時に、自分の意思とは関係なく「あひる口」を炸裂させてしまいます。ナルシストすぎてツライです。
どうか助けてあげてください。

僕の「あひる口」が「写真撮影」に紐づいているように、言葉や行動はシチュエーションに紐づいていることが往々にしてあります。

作家は、その「シチュエーション」に紐づいているキャラクターの言葉や行動を「芋掘り」の要領で掘り起こします。

芋づる式に次から次へとキャラクターの言葉や行動が掘り起こされることもあれば、途中で、引いている蔓(つる)がプツンと切れてしまうこともあります。
こればっかりは、掘ってみないと分かりません。トホホ。。

ところが、『えんとつ町のプペル』の執筆時に感じた不思議な力は、それらとは一線を画すものでした。

今回の台本(映画『えんとつ町のプペル』)で御理解いただいたと思いますが、たしかに「えんとつ町」というシチュエーションは徹底的に練りましたし、劇中に登場するそれぞれのキャラクターは、キャラクターの背景(家庭環境)からミリ単位で作り込みました。キャラクターが自らに台詞を選び出すには十分なほどに。

ですが、今作品の執筆中に感じた不思議な力は、「2に3を掛けたら、6になるよね」といった数学的なノリで台詞や行動が掘り起こされた感じではありませんでした。

特に、「ルビッチ」「プペル」「アントニオ」…この3人は、書き起こす作業が追いつかないほどのスピードで喋っていました。

「何者かが宿っている感じ」とでも言いましょうか。

そこには、作者とは別の〝意思〟が確かにありました。

不思議な力の正体は何となく分かっています。

『えんとつ町のプペル』の執筆当時、僕は「魔女狩り」の真っ只中にいました。

芸人の道を選び、同世代のライバル達と切磋琢磨しながら、誰よりも速く「テレビ」という山を駆け上りました。
しかし、必死に駆け上がった山の上から見えた景色は、希望に満ちたものではなく、「この先走るハズだった道が途中で途絶えている」という『絶望』でした。
25歳の頃の話です。

端から見ると、仕事は順調そのもの。
自分達の番組の視聴率は毎週20%を超えていました。

だけど、ここに未来はない。

すぐに周囲の人達に「この先は何もない。今すぐハンドルを切ろう!」と提案しましたが、「何を言っているんだ? 今、誰よりも上手くいっているじゃないか」と相手にされませんでした。

避難を呼びかける僕に対して、こういった声もありました。

「そんなことは分かってるよ。だけど、口にするなよ」

折り合いをつけた人達の声です。

それでも走り続ける為に、「道が途中で途絶えている」という現実から、懸命に目を逸らしている人がいたのです。

彼らもまた、戦っていました。

それでも僕はやっぱり、「まだ誰も見たことがない世界」を見たかったので、テレビの世界から足を洗い、国境にとらわれずにチャレンジできる絵本の世界に飛び込んでみました。

すると間もなく猛烈なバッシングが始まります。

「頭がおかしくなった」と言う人もいれば、「空気を読めよ」と言う人も。

鼻で笑う人もいれば、「俺も折り合いをつけたのだから、お前も折り合いをつけろよ」と圧力をかけてくる人もいました。

影響力を持つテレビの人達がそれを始めてしまったので、「魔女狩り」は国民全体に飛び火し、「理由はよく分からないけど、とりあえずキンコン西野は叩いておけ」という時期が随分続きました。

僕の仲間までもが攻撃の対象になったほど。
「なんで、西野なんかと仕事をしてんだよ」と。
嘘みたいな話ですよね? ホントにあったんです。

「ルビッチ」「プペル」「アントニオ」…この3人は、僕が「魔女狩り」に遭っていた時に実際に存在していた「誰か」で、だから、それぞれのキャラクターは作者の筆よりも早く喋り出したのだと思います。

おかげで、『えんとつ町のプペル』は僕の自叙伝的な物語に仕上がってしまって、その分、思い入れも強いです。

映画の主題歌の歌詞に「巡り巡る物語」という一文を入れました。

僕や、この物語の登場人物達が経験したことは、きっと、この先、いろんな場面で起きるだろうと思います。

もちろん、キミの目の前でも。

その時、この『えんとつ町のプペル』という物語が、キミの応援歌になれたら、これほど嬉しいことはありません。

僕は新作を書かないといけないので、そろそろ仕事に戻ります。
最後に映画『えんとつ町のプペル』の主題歌の歌詞を記載しておきます。
生きてりゃ苦労も多いけど、負けないで。

ずっと応援しています。

西野亮廣

(※最後に主題歌の歌詞が載ります)
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